2000年代初頭、ひとつの打診が任天堂内部に激震を走らせた。当時の山内溥社長から下された指令は「画面を2つにしろ」という、常識破りの一言だったという。開発現場からは困惑と反対の声が噴き出した。「なぜ2つの画面が必要なのか」「コストが跳ね上がり、ゲーム作りに支障が出る」。誰もが懐疑的だった。
その渦中で開発プロジェクトを率いた彼は、単なる命令への従属ではなく、技術的な回答を模索した。片方の画面をタッチパネルにするという発想。操作系と表示系を分離し、プレイヤーにまったく新しい手触りを提供する構造。周囲の悲観論をひとつずつロジックで打ち消しながら完成させたニンテンドーDSは、後に世界的な社会現象を引き起こすこととなる。批判をイノベーションへと変えた瞬間だった。