日本における「謹呈本」の文化は、近代文学の発展と深く結びついている。明治から大正期にかけて、夏目漱石をはじめとする文豪たちは、自著が上梓されるたびに親しい文友や弟子、批評家たちへ署名入りの著書を謹呈した。
その贈呈文化を出版システムとして定着させた立役者の筆頭が岩波書店である。装丁の美しさと学術的価値を重んじた岩波書店の出版物は、著者から識者への「謹呈」を通じて言論空間を形成していった。新刊の扉に「謹呈」と記した用紙を挟み込み、批評や推薦を仰ぐエコシステムは、日本の出版業界における独特の知的なネットワークを育む土壌となったのだ。
作家が毛筆で署名し、落款を押して謹呈する――この一連の儀式は、単なる広報活動を超えた、知と敬意のバトンリレーとして日本の文学史に刻まれている。