死の自己決定権を語る上で避けて通れない歴史的変曲点がある。1990年代のアメリカで、自作の自死幇助装置「タナトロン」を用いて130人以上の終末期患者の死を幇助した病理医、ジャック・ケヴォーキアン(Jack Kevorkian)の存在だ。
「ドクター・デス」と呼ばれたケヴォーキアンの過激な行動は、当時の医学界と法曹界を大きく揺るがし、最終的に彼は第2級殺人罪で服役することとなった。だが、彼が投じた波紋は、伝統的なヒポクラテスの誓約に基づく「いかなる状況でも生命を維持する」というパターナリズム(父権主義的医療)に致命的な亀裂を入れた。
ケヴォーキアンの裁判を契機に、生命倫理学(Bioethics)の領域では「患者の自律性(Autonomy)」が中心的なアジェンダとして再定義された。生命をただ物理的に維持することだけが医療の正義なのか、それとも苦痛からの解放と個人の意思尊重こそが最優先されるべきなのか。ケヴォーキアンの暴走とも言える実践は、皮肉にも現代の安楽死法制化議論の土台を築く契機となった。