父との二人三脚で基礎を磨いた少年は、千葉県浦安市のリトルリーグから安田学園中学校・高等学校へと進学し、その才能を一気に開花させていく。高校時代は通算38本塁打を記録しながらも甲子園の土を踏むことは叶わなかったが、その類まれな長打力とキャッチャーとしてのインサイドワークはプロのスカウト陣の目を釘付けにした。
その後、東都大学野球の強豪・中央大学硬式野球部へ進学。ここで阿部は、単なる「打てる捕手」から「勝てる司令塔」へと飛躍的な進化を遂げる。シドニー五輪の日本代表に大学生として唯一選出されるなど、アマチュア球界のトップへと君臨した。浦安の生家で培われたハングリー精神と、父から叩き込まれたスラッガーのDNAが、名門・中大の厳しい縦社会で完全に覚醒した瞬間だった。