バッシング報道が最も苛烈を極めたのは、平成への改元から間もない1990年代初頭だった。昭和天皇の崩御を経て皇后となられた美智子さまに対し、一部の月刊誌や週刊誌が突如として一斉に攻撃的な論陣を張り始めたのである。
口火を切ったのは、「宮内庁担当記者」や「宮中関係者」を名乗る匿名の告発記事だった。「美智子皇后が夜中にカップラーメンを作らせた」「深夜まで職員を拘束して説教している」「御所の新築費用が巨額にのぼり、贅沢三昧をしている」「皇居の森の木を切り倒させた」など、真偽不明の扇情的な見出しが毎週のように雑誌の表紙を飾った。これらはすべて、宮中内部の不満分子がリークした歪んだ情報や、完全な憶測に基づく誹謗中傷に過ぎなかった。
事態が最悪の局面を迎えたのは、1993(平成5)年10月20日、美智子さまの59歳の誕生日のことである。赤坂御所で突如として倒れ、意識を失われた美智子さまは、一命を取り留めたものの言葉を発することができなくなる「心因性失声症」を発症された。
当時の宮内庁の初期対応は後手に回り、報道の暴走を抑止する広報体制はあまりに脆弱だった。反論の機会を持たない皇族の立場を利用したメディアの暴力に対し、美智子さまは後に文書で「どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います。しかし、事実でない報道が繰り返されることには、大きな悲しみと戸惑いを覚えます」と静かに吐露された。失声症という痛ましい身体的異変は、無責任な言論の凶弾が人間の尊厳をどれほど深く傷つけるかを、日本社会に突きつける痛恨の事件となった。