彼の文章を読んでいると、文字を「見ている」のか「聴いている」のか分からなくなる。それは町田自身が持つパンク・ミュージシャンとしての骨格が、そのまま原稿用紙の上に肉付けされているからだ。
独特の関西弁のイントネーション、ビートを刻むような反復、突如として差し挟まれる奇妙な擬音。彼の小説は、黙読しているはずの読者の脳内で勝手に大音量のシャウトへと変換される。文法的な正しさなどという枠組みは、彼のグルーヴの前ではあっさりと吹き飛ぶのだ。格好つけた自己弁護や世間の常識を、毒のある嘲笑と自己破壊的なユーモアで破砕していく手腕は、初期のパンクロックが持っていた衝動そのものである。