2000年12月30日、東京都世田谷区の上祖師谷で起きた世田谷一家殺害事件は、日本の犯罪史において最も異様な様相を呈している。一家4人が惨殺された現場には、犯人の指紋、DNA、スニーカーの足跡、脱ぎ捨てられた衣服、果てはパソコンの操作履歴に至るまで、信じがたい量の物的証拠が残されていた。にもかかわらず、犯人の行方は20余年が過ぎても杳として知れない。
しかし、捜査の現場は決して立ち止まってはいない。2026年現在、飛躍的な進歩を遂げた次世代DNAシーケンシング技術や法医学的ゲノム解析により、現場に残された微量生体試料から犯人の祖先ルーツや外見的特徴を絞り込むアプローチが本格化している。従来の血液型や単純な型判定を超え、東アジアから欧州系に連なる混血の可能性や、犯行当時に犯人が身につけていた希少な染料の流通ルートの再割り出しなど、封印されていた証拠群が新たな証言を紡ぎ始めている。
一方、昭和の犯罪史に巨大な影を落とす1968年の「府中3億円事件」も、完全犯罪の象徴として語り継がれてきた。白バイ警官に扮した単独犯が、現金輸送車ごと3億円(現在の価値で数十億円相当)を奪い去った事件は、膨大な捜査員と公費を投じながらも1975年に公訴時効を迎えた。だが、近年になって当時の捜査関係者が遺した私的メモや未公開の警察調書が発掘され、初期捜査の死角や目撃情報の錯綜に関する新証言が浮上している。歴史の闇に葬られたかに見えた記録は、今なお解明の時を待っている。