1957年に第56代内閣総理大臣に就任した岸が、自らの政治生命のすべてを賭けて挑んだのが日米安全保障条約の改定であった。1951年に署名された旧条約は、アメリカ軍の駐留権を一方的に認めるなど、日本側にとって極めて不平等な内容を含んでいた。
岸は対等な日米パートナーシップの確立を目指し、アメリカ側との粘り強い交渉の末、新たな条約の調印に漕ぎ着けた。しかし、条約締結の手続きを巡り、国内では激しい反発が巻き起こる。国会議事堂周辺は連日、数十万人のデモ隊によって埋め尽くされ、「60年安保闘争」と呼ばれる日本戦後最大の政治運動へと発展した。激しい混乱の末、新条約は自動成立を果たしたものの、社会の分断と混乱の責任を取り、岸内閣は総辞職を余儀なくされた。