では、なぜあれほど強固に信じられていた1192年説は第一線を退くことになったのだろうか。その理由は、近世以降の江戸幕府観や明治以降の近代国家観が与えた歴史観の偏りに求められる。長い間、武家政権の首班=征夷大将軍というイメージが強く定着しており、「将軍に就任した日=幕府の開始日」と見なす考え方が自明のものとされてきた。
しかし、近年の日本史研究は権力の実態をより精緻に分析するようになった。頼朝が征夷大将軍に就く以前から、鎌倉の政所や侍所といった行政組織はすでに完成し、機能していた。さらに、後白河法皇が崩御した直後の1192年に将軍宣下が行われた経緯を見ても、それはすでに確立していた実権に「後追いで与えられた儀礼的・象徴的な権威」に過ぎなかったという見方が強まったのだ。儀式的なタイトルよりも、実際の政治機構が稼働した事実を重視する歴史的リアリズムが、1192年説の後退を決定づけた。