この施策の背後には、当時の朝鮮総督府が強力に推し進めた皇民化政策が存在する。特に第7代朝鮮総督である南次郎は、内鮮一体のスローガンのもと、言語や宗教、生活習慣に至るまで日本化を迫る路線を主導した。昭和天皇の御名のもとで進められた戦時下の統治において、同化政策は国家の至上命令とみなされていた。
議論の中心となり続けているのが、創氏届出における「強制性」の有無と実態だ。法的には制度発足から8ヶ月間、自主的な創氏の届出期間が設けられていたが、期限内に届出を行わなかった世帯に対しては、戸主の姓が自動的に「氏」として登録された。さらに、学校への入学制限や行政サービスの差別的取り扱いといった現場での行政圧迫が報告されており、形式的な任意性の裏に強大な社会的同調圧力と強制が存在していたことが、数々の記録から浮き彫りになっている。