紫禁城を追われ、天津の租界へと逃れた溥儀と婉容だったが、夫婦の亀裂は決定的なものとなる。側室である文繍が溥儀に対して前代未聞の離婚宣告を行うと、溥儀はその恥辱と怒りの矛先を皇后である婉容へと向けた。天津での生活で二人の会話はほとんど絶たれ、婉容はさらなる精神的孤立へ追い込まれていく。
1932年、関東軍の主導により満州国が建国されると、婉容の運命は真の暗黒期を迎える。皇帝として即位した溥儀の影で、婉容は事実上の監禁状態に置かれた。関東軍による厳しい監視と、夫からの激しい冷遇。その絶望の中で、彼女は宮廷の侍衛(護衛役)と密通し、女児を出産するに至る。しかし、事態を知った溥儀は激怒し、生まれたばかりの赤ん坊を取り上げて即座に処分したと伝えられる。この我が子の死という耐えがたいトラウマが、婉容を不可逆的な精神崩壊へと突き落とした。日々の現実逃避として、彼女が阿片の煙の中に身を投じる頻度は劇的に跳ね上がっていったのだった。