2011年3月、事態は刻一刻と悪化していた。巨大地震と津波によって全電源を喪失した福島第一原子力発電所事故。当時、菅直人内閣の危機管理対応は、前例のない極限状態に晒されていた。現場からの情報が寸断され、最悪のシナリオとして首都圏を含む東日本全域からの住民避難すら現実味を帯びていた時期である。
とりわけ焦点となったのが、東京電力本部への自らの乗り込みや、現地撤退を巡る激しいやりとりだ。情報の遅延に強い焦燥感を抱いた官邸トップが下した直接介入という決断は、後に「現場を混乱させた」との批判を浴びる一方で、「全面撤退という致命的な事態を防ぎ止めた」との評価も存在する。政治・行政のトップとして、未知の巨大災害にどう向き合うべきだったのか。各種検証委員会の記録を経た現在も、その生々しい意思決定過程は国家の教訓として語り継がれている。