看板アナウンサーの失脚劇は、一つの金銭トラブルの内部告発から始まった。2010年からニューヨーク支局へと赴任していた長谷川氏は、現地での滞在費用清算において会社規約に違反する処理を行ったと認定され、2012年に降板と降職の処分を受けた。本人は一貫して事務手続き上の行き違いや不正の意図がなかったことを主張したものの、局側との溝は埋まらず、2013年4月に株式会社フジテレビジョンを退社することになる。
しかし、退社は波乱の第一章に過ぎなかった。局を去った長谷川氏はフリーアナウンサーとしての再起をかけ、ブログや各種メディアで自身の主張を展開。過激とも言えるストレートな物言いが当初は「テレビの裏側を暴く異端児」として注目を集めた。事態が決定的に崩壊したのは、人工透析患者に対する自己責任論を煽る過激な言葉を投稿した時だ。猛烈な批判が巻き起こり、レギュラー出演していた地上波やBSの報道・情報番組をすべて降板する事態に追い込まれた。
その後、彼は言論活動の場を政治の世界へと求めた。自らのアイデンティティを既存メディアへのアンチテーゼとして再構築し、政界への足がかりを探る動きを見せたのである。