1988年11月、下校途中で拉致された少女は、監禁場所となった住宅で過酷な暴行を受け続けた。加害者らは被害者を人間として扱わず、日常的な暴力と精神的屈辱を課した末に殺害。遺体をドラム缶に入れてコンクリートで固め、江東区の埋立地に遺棄するという常軌を逸した手段で証拠隠滅を図った。東京地方裁判所での初審から最高裁判所に至る司法判断の過程では、加害者少年の「成育環境」と「犯行の悪質性」の間で激しい衡量がなされ、最終的に主犯格に対して懲役20年以下の不定期刑や懲役刑が確定した。
だが、この判決に対する社会的な不満は根強く残った。惨劇から歳月が経過した2026年現在、特定少年制度の定着や厳罰化への舵切りによって、少年が犯した重大犯罪に対する法的なアプローチは明確に変化している。かつて「少年保護」の名のもとに遮られた刑事責任の重みは、現代の刑事司法においてより厳格に捉えられるようになり、重大な凶悪犯罪においては成人と同等の実体処罰を科す方向性が定着した。本事件が提示した「未成年者の残虐犯罪にどう対峙すべきか」という課題は、半世紀近くを経て法的枠組みの実効性を試す指針であり続けている。