話題沸騰中の 豊臣秀吉の妻たちの真実|正室ねねと淀殿の愛憎劇と側室の全貌について、主要な情報を分かりやすく掲載しています。

秀吉の妻ねねの存在感を語る上で、日本史史上もっとも有名な一次史料の一つが、主君・織田信長がねねに宛てて送った直筆の書状(安土城滞在時、天正4〜5年頃)です。

当時、長浜城主となり出世した秀吉は、派手な浮気を繰り返してねねを悩ませていました。これを見かねたねねが安土城の信長を訪ねて相談した際、信長は後日、極めて丁重かつユーモアに富んだ手紙を彼女に送付しています。

「……この前久しぶりに会ったが、あなたの美しさは以前にも増して見事であった。あの『ハゲネズミ(秀吉)』があなたほどの素晴らしい妻を持ちながら、他に不満を漏らすなど言語道断である。どこを探しても、あなたほどの女性を再び妻に迎えることなどできはしないのだから、あなたも正室として堂々と威厳を保ち、嫉妬などせずどっしりと構えていなさい。なお、この手紙は秀吉にも見せてやるがよい……」
(『織田信長自筆書状』要約)

この手紙の真の価値は、信長が部下の妻に対して単なる慰めを超え、「豊臣家(木下家)におけるねねの正室としての正当性と権威」を最高権力者の立場から公認した点にあります。信長から「陽気で美しく、代えがたい存在」と絶賛されたねねは、単なる武将の妻を超え、織田家臣団の中でも特別なリスペクトを受ける女性へと昇華していきました。