秀吉の御土居の大半は江戸時代から近代にかけて開発で取り壊され、現在は北野天満宮境内や大宮交通公園周辺などに国指定史跡として断片が点在するのみです。では、現代において「洛中」とは具体的にどの範囲を指しているのでしょうか。
現代の道路名で説明される最もポピュラーな「通説」は、以下の4本の幹線道路で囲まれたエリアです。
・北端:丸太町通(あるいは鞍馬口通・北大路通)
・南端:九条通(東寺が位置する南限ライン)
・東端:鴨川(加茂川)
・西端:西大路通
この四方で囲まれた長方形のエリアは、平安京の条坊制(碁盤の目)の名残を色濃く残しており、地元タクシードライバーや観光案内でも標準的な「洛中」として案内される傾向があります。しかし、東端を鴨川とする点には極めて重要な注意点があります。観光客で賑わう「祇園(東山区)」は鴨川の東側に位置するため、歴史的・地理的には明確な「洛外」にあたります。祇園はもともと八坂神社の門前町として鴨川の河原を越えた「外の盛り場」として発展した経緯があるためです。
また、北端のラインについても議論が分かれます。京都御所を基準とする公家文化圏の視点では「丸太町通以北は御所の裏山」とみなされることもあれば、秀吉の御土居の北端にあたる「鷹峯・紫野(鞍馬口通付近)」までを洛中と認める立場もあり、語り手の歴史的バックグラウンドによって数キロメートルのズレが生じます。