子供を持たないと決意した後も、名門・安倍家の血脈を途絶えさせまいとする周囲の声は収まらなかった。そこで浮上したのが「養子縁組」という選択肢である。政治ジャーナリズムの現場でも、一時は親族からの養子受け入れが既定路線であるかのように囁かれた時期があった。
当時、水面下で様々な提案がなされたのは事実だ。しかし、この選択肢を最終的に退けたのは他ならぬ夫妻自身だった。「養子をもらって、その子に安倍家の看板を背負わせることが、本当にその子の幸せになるのだろうか」。晋三氏は自らの政治的重責と世襲の残酷さを誰よりも知っていた。子供に自分と同じ過酷なレールを強いることを潔しとしなかったのだ。
外部から見れば「後継者不在」という政治的リスクに映った決断。しかし、二人が選んだのは、血の継承ではなく「同志」として人生を分かち合う生き方だった。メディアが当時詳細に報じきれなかったこの家族の決断は、古い家父長制の規範が色濃く残る永田町において、極めて異例で静かな反逆だったと言える。