今でこそタレントとしての印象が強いが、彼のキャリアの起点は日本プロ野球機構(NPB)を揺るがした超高校級投手にある。徳島市立高校時代、甲子園で大会通算奪三振記録を樹立し、鳴り物入りで中日ドラゴンズへ入団。凄まじいキレを誇るスライダーを武器に、エースとして通算77勝を挙げた本物のトップアスリートだった。
故障によってプロ野球を引退した後、彼は解説者を経てタレント業へと本格進出する。当時の球界出身者としては極めて異例の転身だった。勝負の厳しさを知り尽くしているからこそ、カメラの前で見せるサービス精神とリアクションの鋭さは群を抜いていた。勝負師としての度胸が、芸能ニュースを騒がせる唯一無二のポジションを築く原動力となったのだ。