圧倒的な成功の裏で、彼女が支払った代償は極めて過酷なものでした。ネット上では「作られた操り人形だったのではないか」という安易な言説が散見されることがありますが、実際の現場を知る関係者の証言はまったく異なります。
彼女はすべての楽曲の作詞(クレジット:ayumi hamasaki)を手掛け、ジャケットデザイン、プロモーションビデオの絵コンテ、ライブ演出に至るまで徹底したセルフプロデュースを貫いていました。その妥協なき制作姿勢ゆえに、睡眠時間は連日2〜3時間に削られ、心身への負担は限界に達していました。
その極限状態のなかで起きた悲劇が、2000年夏の全国ツアー中に発症した左耳の内耳性突発難聴でした。医師からライブの中止と絶対安静を宣告されたものの、「ファンのためにステージを止められない」とツアーを強行。その結果、左耳の聴力を完全に失うという重い後遺症を負うことになります。
後に発表された手記やドキュメンタリー特番において、彼女は当時の心境を「歌うことしか自分の存在価値を証明する手段がなかった」と告白しています。華々しいスポットライトの裏には、自らの肉体を削りながら走り続けた壮絶な孤独と戦いがありました。