安倍晋三氏が過ごした成蹊大学時代(1973年〜1977年)は、政治家の卵としての野心に満ち溢れていたというよりも、緑豊かな武蔵野のキャンパスで学生生活を謳歌するごく自然体の若者でした。当時の手記や同窓生、恩師への取材記事によると、その青春時代を語る上で欠かせないのがアーチェリー部での活動です。
大学入学後にアーチェリー部を立ち上げ、自ら副主将を務めるなど、部活動の発展に情熱を傾けました。当時の部活仲間はメディアの取材に対し、「決して偉ぶることはなく、後輩の面倒見が良い温厚な人柄だった」「的を射る集中力と、チームをまとめる気配りの人だった」と証言しています。自著や特番インタビューでも、アーチェリーを通じて学んだ「極限状態での平常心の保ち方」や「ブレない軸を持つこと」が、のちの過酷な政局運営で生きたと振り返っています。
また、学業面においては、少人数教育を重視する成蹊大学ならではの環境が個性を育みました。恩師である宇野重昭教授の研究室には頻繁に顔を出し、アジアの歴史や共産圏の動向について活発な議論を交わしていました。宇野教授はのちに「自分の頭で物事を多角的に考え、納得するまで問い続ける粘り強さがあった」と述懐しています。大規模大学のマスプロ教育では得られない教授や学友との濃密な対話こそが、安倍氏の人間関係構築力の礎となったといえます。