出会いは1970年代半ば、新宿の片隅だった。福岡から上京したばかりの無名だったタモリの芸を目の当たりにした赤塚不二夫は、瞬時にその異質さと底知れぬ才能に惚れ込んだ。驚くべきことに、赤塚は自身のマンションをタモリにまるごと明け渡し、家賃から生活費まで面倒を見ながら、自らは仕事場に寝泊まりするという常識外れの生活を始めたのである。
当時、すでに『天才バカボン』や『おそ松くん』でギャグ漫画の頂点を極め、出版業界の寵児となっていた赤塚。しかし、フジオ・プロダクションを取り巻く熱気の中で二人が共有していたのは、損得勘定を完全に排除した「面白さへの純粋な渇望」だった。毎夜のように繰り広げられた密室芸の宴。赤塚はタモリの自由奔放な芸を心から面白がり、タモリもまた赤塚の無防備なまでの器の大きさに身を委ねていた。