無差別に人命を奪った造田博は、どのような環境で育ち凶行に至ったのか。その生い立ちは、過酷な家庭環境の崩壊と、社会からの完全な孤立の歴史でした。
造田は1975年に岡山県倉敷市で生まれました。幼少期は比較的裕福な家庭で育ち、成績も優秀で手先の器用な少年だったと伝えられています。しかし、中学校に入学する頃から両親がギャンブル(パチンコなど)にのめり込み、多額の借金を抱えるようになります。
高校進学後、家庭内は借金取りの催促で荒れ果て、高校2年生のときに両親が多額の借金を残して突如夜逃げ(失踪)しました。残された造田と兄は突然の極貧生活を余儀なくされ、造田は高校の中退を強いられます。電気やガスが止められた実家で耐え忍んだ後、兄とも別れて単身で新聞配達員や土木作業員、工場勤務などの職を転々としながら全国を渡り歩く生活へと突入しました。
親の身勝手な行動によって人生を狂わされた造田は、次第に「周囲の人間すべてが自分を嘲笑し、見下している」という強烈な不信感と被害妄想を募らせていきます。誰にも相談できず、社会との接点を失った孤独な生活環境が、狂気の引き金となっていきました。