矢沢永吉の音楽的キャリアを深く理解するには、1970年代初頭のキャロル 時代 ヒット曲からの変遷を辿る必要があります。革ジャンとリーゼントで日本語を英語風のイントネーションに乗せて歌った『ファンキー・モンキー・ベイビー』や『ルイジアンナ』は、当時のフォーク優勢だった日本音楽界に強烈な衝撃を与えました。
1975年のキャロル解散後、単身アメリカに渡って制作されたソロデビュー曲アイ・ラヴ・ユー, OKでは、荒々しいガレージロックから一転、壮大なストリングスを配したドラマティックなバラードへと昇華。自著『成りあがり』でも克明に記されている通り、広島から夜行列車で上京した少年時代に頭の中で鳴っていたメロディを具現化したこの楽曲は、矢沢のメロディメーカーとしての天賦の才能を世に知らしめました。
80年代に入るとドゥービー・ブラザーズのメンバーを起用した全米進出アルバムや、ロンドンレコーディングによる『SOMEBODY'S NIGHT』『共犯者』など、常に世界の最先端サウンドを取り入れながら自己をアップデートし続けました。この果敢な挑戦こそが、半世紀にわたり第一線で輝き続ける最大の要因です。