怪僧ラスプーチンの正体とは?不死身伝説の真相とロマノフ王朝の闇についての疑問解決ガイドをお届けします。

帝国の崩壊に強い危機感を抱いた急進派の貴族たちは、ラスプーチンの物理的排除を決意します。首謀者は、ロシア屈指の大富豪であり皇帝の姪の夫でもあったフェリックス・ユスポフ公爵と、皇帝の従兄弟であるドミトリー・パヴロヴィチ大公、極右議員のウラジーミル・プリシケヴィチらでした。

1916年12月29日深夜(グレゴリオ暦では1917年1月)、ユスポフ公爵の居城であるモイカ宮殿の地下室にラスプーチンが招かれました。ユスポフの回想録によれば、ここから世にもおぞましい「暗殺劇」が幕を開けます。

用意されたのは、致死量のシアン化カリウム(青酸カリ)が仕込まれたプチフール(ケーキ)とマデイラワイン。ラスプーチンはそれらを平然と平らげましたが、何の変化も見せず、ピアノの演奏を要求したといいます。焦ったユスポフは背後からリボルバーで彼の胸を撃ち抜き、ラスプーチンは床に倒れ込みました。

事件は終わったかに見えましたが、遺体を確認しようとしたユスポフの首に、突然目をカッと見開いたラスプーチンが飛びかかり、「フェリックス、お前を絞め殺してやる」と叫んで中庭へと逃走。驚愕した暗殺グループは雪の降り積もる中庭で彼に向けて銃弾を乱射し、頭部や背中に命中させてようやく倒したとされています。彼らは遺体を絨毯で包み、車でネヴァ川の支流であるマライア・ネフカ川の氷の割れ目へと投げ捨てました。