綱吉が「犬公方」と呼ばれた最大の理由は、彼が戌年生まれであったことから犬の保護を特に手厚く命じたためとされる。だが、中野に大規模な犬小屋を建て、数十万頭の野犬を収容して養育した事実は、当時の街中に溢れていた野犬による危害から江戸市民を守るという安全対策の側面を強く持っていた。
それにもかかわらず、なぜ「狂気の愚政」として後世に語り継がれてしまったのか。そこには、新政権樹立時に前政権の政策を否定して正当性をアピールしようとした新井白石ら後続の政治家たちの意図や、旧来の武士階級による反発が大きく影響している。時代劇などで強調されがちな「蚊を叩いただけで流罪」といった極端な逸話は、大半が滑稽本や都市伝説の類であり、実記の検証では確認されない。