東海原発事故の全貌とJco臨界の爪痕|東海第二再稼働と避難の現実を詳しくリサーチ! 知っておきたい 重要ポイントを凝縮して配信します。

日本国内で「原子力の平和利用」というスローガンが揺らぎ、人々に放射線への根源的な恐怖を刻みつけた最大の契機が、1999年9月30日午前10時35分に起きた東海村JCO臨界事故です。この事故の全体像を把握するには、現場で運用されていた作業実態と、ウランが核分裂連鎖反応を起こす臨界事故メカニズムを正確に整理する必要があります。

当時、住友金属鉱山の子会社であった株式会社ジェー・シー・オー(JCO)の東海事業所では、高速増殖炉「常陽」で使用する濃縮度18.8%のウラン燃料の製造が行われていました。東海原発事故原因として後に白日の下に晒されたのは、国の安全規制や正規の手順書を完全に無視した、信じがたい「作業の簡略化」でした。

本来の手順では、ウラン粉末を硝酸に溶解させた後、臨界を防ぐために細長い形状に設計された「貯蔵塔」へ移送し、均一に攪拌(かくはん)しなければなりませんでした。しかし現場では、工程短縮と作業効率の向上を目的に、ステンレス製のバケツを使ってウラン溶液を溶かし、臨界安全形状ではない幅広の沈殿槽へ漏斗(じょうご)で直接流し込むという違法な裏作業が日常化していました。

規定された安全制限量である2.4キログラムを遥かに上回る約16.6キログラムのウラン溶液が沈殿槽に注ぎ込まれた瞬間、核分裂反応が持続的に連鎖する「臨界状態」に到達しました。作業に当たっていた作業員たちの目の前で、中性子線が周囲の空気分子を励起して放つ特有の青い光(チェレンコフ光)が閃光となって輝き、見えない放射線の奔流が室内に充満したのです。

この東海村臨界事故の真相において最も衝撃的だったのは、事故を抑止すべき装置や遮蔽壁が一切存在しなかった点です。施設は通常のウラン加工を想定した低レベル放射線対応の建屋であり、臨界が起これば放射線を遮断する手立てがありませんでした。連鎖反応を止めるため、原研の決死隊が冷却水を抜き、ホウ酸を投入して臨界を強制収束させるまでに、実に約20時間もの時間を要することとなりました。