彼女の表現の原点には、十代後半で経験した太平洋戦争の破局がある。空襲と飢餓、そして昨日までの価値観が鮮やかに翻った絶望。泥沼の底から生み出された『わたしが一番きれいだったとき』は、青春の最も美しい時期を泥に塗られた若者たちの無念を刻みつけ、日本文学史に不朽の足跡を残した。
戦後間もない1953年、彼女は同世代の若い詩人たちと共に詩誌「櫂」を立ち上げる。そこには谷川俊太郎や大岡信、吉野弘といった、後に昭和の現代詩を牽引する才能が集っていた。国家やイデオロギーという巨大な物語に屈せず、一個人の眼差しと直感を重んじる「櫂」の試みは、当時の文学界に鮮烈なインパクトを与えたのだった。