結論から明かすと、スタジオジブリのアニメーション映画でも、野坂昭如氏の原作小説『火垂るの墓』においても、親戚のおばさんが節子や清太の死を知って後悔したというエピソードは一切描かれていません。
映画におけるおばさんの出番は、清太が母の銀行貯金を引き出し、リヤカーに荷物を積んで節子とともに家を出ていくシーンで完全に途切れます。去りゆく幼い兄妹の後ろ姿を見送る際も、引き留める言葉すら掛けず、どこか厄介払いができたかのような冷淡な態度を崩しませんでした。
原作小説の結末においても同様です。清太は終戦直後の1945年9月21日夜、国鉄三ノ宮駅の構内で誰に看取られることもなく衰弱死します。一方の節子も、西宮の横穴防空壕の中で栄養失調により命を落とし、清太の手によって一人静かに荼毘に付されました。西宮のおばさん一家が二人の悲惨な最期を知ったのかどうかすら、作中では一切言及されていません。
読者や視聴者が「彼女は後悔したのだろうか」と想像を巡らせてしまうのは、あまりにも救いのない結末に対し、遺された大人の側にわずかでも人間的な贖罪や痛恨の情を見出したいという、受け手側の心理が投影されているからにほかなりません。