型破りなロッカーから本格的な俳優へと舵を切る決定打となったのが、昭和の大スター・石原裕次郎との出会いである。あるパーティーで石原に見初められた舘は、その圧倒的な器の大きさに心酔し、名門「石原プロモーション」への加入を決意する。
石原裕次郎を「ボス」と呼び、映画人の魂を徹底的に叩き込まれた日々。厳格な医者の家庭で育った舘にとって、礼節を重んじながらも豪快に生きる石原プロの空気は、奇妙なほど肌に馴染んだという。裕次郎の遺志を継ぎ、長年看板俳優として屋台骨を支え続けた。そして石原プロ解散後、自らの事務所である「舘プロ」を立ち上げた際も、所属俳優たちに「礼儀・感謝・品格」を説く姿勢は、かつての恩師と、名古屋の実家から受け継いだ誇りそのものだった。