劇団ひとりの昔が超イケメン!スープレックス解散と極貧下積みの真相にまつわる役立つ知識を分かりやすく発信ます。

帰国後、千葉県の中学校・高校へ進学した川島少年は、お笑いの世界に強烈に惹かれていきます。1994年、高校在学中に出場した日本テレビ系のバラエティ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「お笑い甲子園」をきっかけに、同級生だった秋永和彦(あきなが かずひこ)とお笑いコンビ「スープレックス」を結成しました。

当時の太田プロダクション期待の若手ホープとしてデビューを飾り、フジテレビ系『ボキャブラ天国』シリーズの末期や日本テレビ系『ブレイクもの!』などに出演。正統派の漫才やコントを展開し、シュッとしたイケメンコンビとして女性ファンを中心に一定の人気を獲得しました。しかし、芸歴を重ねるにつれて2人の間には決定的な亀裂が生じ始めます。

関係者の証言や本人が後に語った告白によると、スープレックスの解散理由は単なる喧嘩別れではなく、表現に対する執着と将来への危機感の乖離でした。

ネタ作りを一手に担っていた川島省吾は、ウケない現状に激しい焦りを募らせ、ネタ合わせで元相方の秋永氏に対して徹底的な完璧主義を要求しました。一言一句のトーンや間(ま)にまで細かくダメ出しを重ねる川島に対し、秋永氏は次第に精神的重圧を感じるようになります。一方で、当時の若手お笑い界は第3次お笑いブームが一段落し、実力派若手が群雄割拠する冬の時代でした。テレビのレギュラーを掴めず、ライブのギャラは数百円という過酷な生活が続くなか、秋永氏の心は「普通の生活に戻りたい」と芸能界から離れていきました。

「このまま続けても売れる保証はない。自分は別の道を探したい」と告げた秋永氏に対し、川島は慰留を試みるも引き止めることはできず、2000年5月にスープレックスは正式に解散。秋永氏は芸能界を引退して一般社会へ戻り、川島は23歳にして所属事務所の預かりという不安定な立場へ放り出されることになりました。