3人の電撃脱退が発表された直後、週刊誌やネットメディアでは盛んにキンプリ不仲説と解散危機が書き立てられました。「センターの平野と永瀬の間に確執があったのではないか」「方向性を巡って怒号が飛び交った」といった憶測が一人歩きしましたが、取材現場や関係者の証言を総合すると、不仲説は実態とかけ離れたデマであったことが分かります。
彼らの間を決定的に引き裂いたのは、メンバー同士の反目ではなく、グループが掲げる理念と当時のジャニーズ事務所経営陣が描く戦略との致命的なズレ、すなわちキンプリ海外進出の真相にこそありました。
King & Princeはそもそも、創業者である故・ジャニー喜多川氏にメンバー自ら「デビューさせてほしい」と直談判して結成された稀有な成り立ちを持っています。その際、ジャニー氏と交わした最大の約束が「世界へ羽ばたくグループになること」でした。米国の有名ダンサーによる振付レッスンや、全編英語詞の楽曲「Namae Oshiete」のリリースなど、メンバーは着実に布石を打っていました。
しかし、事務所の経営体制が移行する中で、経営陣が求めたのは「国内市場における安定的な経済圏の拡大」でした。ゴールデン帯の冠番組、ドームツアー、国内CMの獲得といった王道のトップアイドル路線は商業的に大成功を収めていたものの、平野や岸が渇望していた本格的な海外展開のための長期レッスンや海外レコーディング、世界配信へのシフトは後回しにされ続けたと報じられています。メンバーが面談を申し入れても十分な対話の機会が得られなかったとされる報道もあり、事務所組織に対する不信感と閉塞感が、3人を独立へと突き動かした真因でした。