視聴者の間でも議論が尽きないのが、木村拓哉と堺雅人の演技力比較です。両者は芝居に対するアプローチの出発点が根本的に異なっています。
木村拓哉の真骨頂は、どのような職業や設定であっても観客を物語へと強引に引きずり込む「天性のカリスマ性と肉体言語」にあります。かつて「何を演じてもキムタク」と評された時期もありましたが、それは裏を返せば、画面に映った瞬間に成立する圧倒的な存在感の証明です。特に『教場』の風間公親役や『グランメゾン東京』の尾花夏樹役に見られるように、削ぎ落とされた視線の鋭さ、指先のミリ単位の動き、背中で語るリアリズムは、経験と徹底的なプロフェッショナリズムに裏打ちされています。
対する堺雅人は、早稲田大学の演劇研究会から出発した叩き上げであり、「緻密な計算と憑依型メソッド」を武器とします。『リーガル・ハイ』の古美門研介や『半沢直樹』に象徴されるように、1分間に数千文字を詰め込む圧倒的な滑舌と抑揚、そして「怒りを笑顔で隠しながら相手を追い詰める」ような二面性の表現において、現役の日本人俳優で右に出る者はいません。膨大な資料を読み込み、理論的に役を構築した上で、本番では狂気的なエネルギーを爆発させる劇場型スタイルです。
映画監督や劇作家の分析によると、木村は「自身という強固な器に役の魂を取り込むスター俳優」であり、堺は「役の器の中に自らの肉体を液体のように注ぎ込む憑依俳優」と定義されます。アプローチが正反対であるからこそ、二人が画面上で激突した際の化学反応は唯一無二の緊張感を生み出していたのです。