イタリア料理の神髄は「徹底した地方性」にあります。広義のイタリア伝統煮込み料理であるラグーも、国土の南北で気候風土や歴史的背景を色濃く反映し、まったく異なる進化を遂げました。
酪農が盛んで寒冷な北イタリア(エミリア・ロマーニャ州やピエモンテ州)では、バターや生クリーム、牛乳といった乳製品を贅沢に使ったリッチなラグーが発達しました。ボロネーゼに牛乳を加える技法は、牛肉の筋繊維を乳酸で柔らかくし、赤ワインの渋みをマスキングしてまろやかさを生み出すための先人たちの知恵です。合わせる麺も、小麦のグルテンが豊かな卵入りの手打ちパスタ「タリアテッレ」が選ばれます。
対照的に、日差しが強くトマトの栽培が盛んな南イタリア(カンパニア州ナポリ)では、前述の「ナポリ風ラグー(Ragù napoletano)」が日曜日の家庭料理として君臨してきました。ナポリの家庭では、日曜日の朝から牛スネ肉や豚バラ肉、サルシッチャ(ソーセージ)などの巨大な塊肉をたっぷりのトマトソースに入れ、極弱火で半日かけて煮込みます。煮汁のソースはパスタ(第一皿=プリモ・ピアット)に使い、煮込まれたホロホロの塊肉はメインディッシュ(第二皿=セコンド・ピアット)としてマスタードなどを添えて食べるという、一石二鳥の合理的かつ贅沢な食文化が受け継がれているのです。
日本においてラグーが肉の煮込みパスタの代名詞として認知された背景には、昭和の高度経済成長期に洋食文化が全国へ普及した歴史があります。当時「挽肉とトマトケチャップ」という手軽な組み合わせで定着したミートソースから、2000年代以降の本格イタリアンブームによって「現地の本物」を求める機運が高まり、差別化を図るシェフたちが「ラグー」という原初的な呼称を前面に打ち出し始めたという社会学的経緯が存在します。