獄中結婚から始まった波乱の夫婦生活に、最大の試練が訪れたのは2002年でした。夫の藤本敏夫に肝細胞がん(肝臓がん)が発覚したのです。すでに病状は進行しており、医師から突きつけられた余命宣告は極めて厳しいものでした。
残された時間を前に、加藤登紀子は仕事を大幅に調整し、自宅での看病と病院への付き添いに全精力を傾けました。当時の病床記録によると、藤本は痛みに耐えながらも「自然王国を頼む」「農業の未来を切り拓いてくれ」と周囲に語りかけ、最期まで社会に対する責任感を失いませんでした。
そして2002年7月31日、藤本敏夫は58歳の若さで逝去しました。早すぎる別れに直面した加藤登紀子は、葬儀において気丈に振る舞いながらも、深い喪失感を吐露しました。しかし、彼女は絶望に沈むのではなく、「藤本敏夫という強烈な命と出会えたことへの感謝」を音楽に変える道を選択します。夫の死後も毎年追悼イベントやコンサートを継続し、彼が残したメッセージを風化させることなく語り継ぎました。