インターネット上や一部の論壇では、「人間宣言はGHQが草案を英語で書き、それを日本政府に無理やり翻訳させて発表させた」という言説が今なお散見されます。しかし、公文書や関係者の証言を突き合わせると、真相は単純な「押し付け」とは大きく異なります。
発案の端緒となったのは、確かにGHQ民間情報教育局(CIE)の幹部や文部省顧問を務めていた英国人学者レジナルド・ブライスらの動きでした。彼らは天皇が自発的に神格を否定する声明を出すことを示唆し、マッカーサー側もこれを後押ししました。しかし、草案作成の実務を担ったのは、文部大臣の前田多門や宮内省御用掛の山崎一芳、そして内閣総理大臣の幣原喜重郎ら日本側の首脳陣です。
日本側はGHQの意図を察知しつつも、決して操り人形として動いたわけではありませんでした。むしろ、GHQの要求を逆手に取り、皇室の伝統を守りながら戦後秩序に適応させるための「高度な共同謀議」とも呼べる外交的駆け引きを展開したのです。
詔書が出された直後、マッカーサーは「天皇の声明は私を非常に喜ばせた。天皇は自らの意志で、日本国民を自由主義的発展へと導く指導者となった」と絶賛する声明を世界に向けて発表しました。これは、マッカーサーにとっても「天皇は民主主義の推進者であり、戦犯として裁くべき対象ではない」と国際世論を説得するための最強のカードとなったのです。