隆盛を誇った神感寺がなぜ廃寺へと追い込まれたのか、その背景には日本の歴史を揺るがした二つの大きな動乱期が存在します。
第一の打撃となったのが、南北朝時代から戦国時代にかけての度重なる兵火です。生駒山地は軍事的な防衛拠点や退路としても利用されたため、楠木正成らの合戦や、織田信長・三好氏による畿内の覇権争いに巻き込まれました。山中にあった堂宇の多くが焼き払われ、寺勢は大きく衰退することとなります。
その後、江戸時代に一部の復興が図られたものの、決定的な終焉をもたらしたのが明治維新期の「神仏分離令」と「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」でした。1872年(明治5年)の修験道廃止令も重なり、山岳寺院としての基盤を完全に失った神感寺は、惜しまれつつも廃寺の運命を辿ることとなりました。仏像や寺宝の多くは近隣の寺院へと移管され、建物は解体されて自然の森へと還っていったのです。