両者のルーツを客観的に比較すると、家庭環境および芸能界での台頭プロセスにおいて、極めて対照的な軌跡を描いてきたことが分かります。
北大路欣也さんの家系は、まさに日本映画界のロイヤルファミリーと呼ぶにふさわしい血統です。父である市川右太衛門氏は東映の筆頭役員を務め、『旗本退屈男』の早乙女主水之介役で一世を風靡した大巨星。北大路欣也さん自身も1956年、わずか13歳のときに父の主演映画『父子鷹』で勝海舟の少年時代(市太郎)を演じて華々しく銀幕デビューを飾りました。「大スターの愛息」という看板を背負いながら、名門・暁星中学校・高等学校を経て早稲田大学第一文学部演劇学科を卒業。徹底したエリートコースを歩みながら、自らの実力でその重圧を跳ね除け、大河ドラマの主役へと上り詰めました。
一方の平幹二朗さんの軌跡は、血筋の庇護に頼らない「実力主義の極致」でした。広島の高校を卒業後に上京し、超難関で知られた俳優座養成所第5期生に入所。同期には仲代達矢さんという不世出のライバルがいました。1963年のフジテレビ系ドラマ『三匹の侍』で演じたニヒルな浪人・狂四郎役で大ブレイクを果たし、その後は演出家・蜷川幸雄氏との運命的な出会いによって『王女メディア』『ハムレット』『リア王』など、世界の演劇史に残る伝説的なシェイクスピア劇の主演を次々と務め上げました。
平さんの私生活に目を向けると、1970年に東映の看板女優であった佐久間良子さんと結婚。当時「世紀のビッグカップル」と騒がれ、二卵性双生児(1男1女)をもうけました。1984年に離婚することになりますが、その長男こそが現在ハリウッドや国際的映像作品で目覚ましい活躍を見せる実力派俳優の平岳大さんです。