トルコの首都はなぜアンカラ?イスタンブールではない理由と歴史について知っておくべき 事実を分かりやすく解説いたします。

長きにわたりオスマン帝国の首都として君臨したイスタンブール(旧称コンスタンティノープル)から、なぜアンカラへと中枢機能が移されたのか。その最大の理由は、第一次世界大戦後の国家存亡の危機にありました。

敗戦したオスマン帝国は連合国軍によって分割占領され、沿海部に位置するイスタンブールもまた英国艦隊をはじめとする敵軍に容易に制圧されてしまいました。海からの艦砲射撃に弱く、防衛が極めて困難だった地理的弱点が露呈した瞬間です。

この危機に立ち上がったのが、トルコ共和国の建国の父と呼ばれるムスタファ・ケマル・アタテュルクでした。アタテュルクは、敵軍の手が届きにくいアナトリア内陸部のアンカラに臨時政府(大国民議会)を樹立。トルコ独立戦争の司令部として祖国解放を指揮し、見事に勝利を収めました。

1923年10月13日、共和国宣言に先立ってアンカラが正式に首都に制定されました。この決定には、外敵から守りやすい堅固な防衛拠点であることに加え、腐敗したオスマン旧体制の封建的なしがらみを断ち切り、政教分離と近代化を掲げる新国家の象徴とするという強烈な政治的決意が込められていました。