山田外美代という名が一躍全国区となった原点は、2005年に開催された愛知万博にある。当時、開幕から閉幕までの全185日間、一日も欠かすことなく会場へ通い続けた伝説的なエピソードは、今なお語り継がれている。
単に会場に足を運ぶだけではない。各パビリオンのアテンダントや海外のスタッフと心を通わせ、文化交流の架け橋となる草の根の活動を続けた。その圧倒的な熱量と親しみやすい人柄から、自然発生的に「万博おばさん」という愛称が定着。国際博覧会の熱気とともに、彼女自身の存在もまた、多くの人々の記憶に深く刻み込まれることとなった。