戦後、駄菓子屋の減少とともに消滅の危機に瀕したもんじ焼きは、思わぬ形で劇的な進化を遂げる。舞台となったのは、埋立地として発展した中央区・月島だ。昭和30年代から40年代にかけ、子どものおやつだったもんじ焼きに刻みキャベツやスルメ、桜えびが加えられ、大人が酒の肴として楽しむ「もんじゃ焼き」へと姿を変えていった。
この変化を組織的に後押ししたのが月島もんじゃ振興会協同組合である。西仲通り商店街(通称もんじゃストリート)には数十軒の専門店が軒を連ね、かつての庶民の味が街全体を潤す巨大な外食産業のキラーコンテンツへと昇華した。現在では国内外から年間数百万人規模の観光客が押し寄せ、地域経済と観光産業を力強く牽引する原動力となっている。だが、その華やかな賑わいの底流には、常にあの薄暗い駄菓子屋の鉄板の記憶が流れている。