張本勲の国籍と本名|なぜ帰化しないのか?壮絶な生い立ちの真相についての疑問解決ガイドをお届けします。

張本氏の半生を語る上で欠かせないのが、幼少期に襲いかかった想像を絶する2つの悲劇です。

1940年に広島市で生まれた張本氏は、4歳の冬、暖をとるためのドラム缶の焚き火に誤って飛び込んでしまい、右手に重度の火傷を負いました。親指以外の4本の指が癒着し、右手の自由をほとんど失うという大怪我でした。本来右利きだった彼が、後に球界を席巻する伝説の「左打ち・左投げ」へと転向した背景には、この痛ましい事故がありました。

さらに翌1945年8月6日、5歳の時に広島で原子爆弾の投下(爆心地から約2.3kmの段原町)に遭遇します。奇跡的に倒壊家屋の隙間から救出されて一命を取り留めたものの、最愛の長姉・点子(てんこ)さんを原爆による大火傷で亡くしました。張本氏は日本プロ野球の現役選手・OBの中で唯一、被爆者健康手帳を所持する被爆者でもあります。

五体満足ではない右手と、戦争の深い爪痕。それらを言い訳にせず、血のにじむような猛練習でハンディキャップを克服した精神力こそが、超一流打者・張本勲の原点でした。