伊丹十三の生涯を語る上で避けて通れない最大の事件が、1992年5月22日に発生した刃傷沙汰です。映画『ミンボーの女』が公開されたわずか6日後、東京都目黒区の自宅近くで、突如現れた5人組の男たちに刃物で顔や首、両腕などを切りつけられ、全治3か月の重傷を負いました。傷口は80針以上も縫う凄惨なものでした。
この伊丹十三の襲撃事件の経緯は、当時の社会構造に極めて大きな爪痕を残しました。実行犯は指定暴力団山口組系後藤組の組員たちであり、映画が暴力団による恐喝(民事介入暴力)の手口をあまりに克明に暴き、一般市民が法と連携してヤクザを撃退するノウハウを分かりやすく描いていたことへの報復だったと判明しています。
病院のベッドで顔中を包帯で巻かれながら、伊丹はテレビカメラに向かって毅然とこう言い放ちました。「私は屈しない。暴力に映画が屈してはならない」。この言葉は日本中に大きな勇気を与え、同年施行されたばかりの暴力団排除関連法の運用を後押しし、社会全体が裏社会の圧力と対峙する契機となりました。この圧倒的な気概を示した男だったからこそ、5年後の転落死に対する人々の心理的動揺と他殺説への傾倒がより一層深まる皮肉な結果を生んだのです。