1997年12月20日夜、東京都港区麻布十番の伊丹プロダクションが入居するマンション敷地内で、血を流して倒れている伊丹十三監督が発見され、搬送先の病院で死亡が確認されました。享年64。現場の状況と事務所に残されたワープロ印字の遺書から、警視庁麻布警察署は飛び降り自殺と断定しました。
遺書には「身をもって潔白を証明します。何もなかったということを」と記されており、直後に発売が予定されていた写真週刊誌『フラッシュ』による26歳女性タレントとの不倫疑惑記事に対する抗議が、直接の引き金であったと報じられました。私生活のダンディズムと知性派知識人としての矜持を重んじていた伊丹監督にとって、事実無根とされるスキャンダル記事によって名誉を傷つけられることは耐え難い苦痛であったと、当時の近親者は述懐しています。
しかし事件直後から現在に至るまで、一部のメディアやネットコミュニティでは「他殺説(暴力団による謀殺説)」が根強く囁かれ続けています。その最大の根拠とされたのが、1992年に公開された映画『ミンボーの女』を巡る報復事件でした。暴力団の資金獲得活動(民事介入暴力)の手口をユーモアを交えて白日の下に晒した同作の公開直後、伊丹監督は自宅近くで刃物を持った五代目山口組系後藤組の組員らに襲撃され、顔や首に全治3カ月の重傷を負いました。
この襲撃の際、伊丹監督は病院の記者会見で「私は屈しない。映画で暴力団の卑劣さを描き続ける」と毅然とした態度を貫き、世の喝采を浴びました。それほどまでに強靭な反骨精神と論理的思考力を持った表現者が、未確認のスキャンダル報道一つで自死を選ぶだろうかという疑問が、謀殺説を補強する心理的温床となったのです。後年に元暴力団関係者が著書で謀殺を示唆する証言を行ったことも疑惑に拍車をかけました。
だが、警察の徹底した現場鑑識、飛び降りたベランダに残された本人の足痕、遺書が作成されたパソコンのログ解析、そして司法解剖の鑑定結果において、第三者の介在を示す客観的証拠は一切検出されていません。関係者の詳細な証言を総合すると、完璧主義者であり、自らのプロデュースした世界観に寸分の狂いも許さなかった伊丹十三にとって、ゴシップ記事によって長年築き上げた社会的信用とパブリックイメージが不可逆的に汚される恐怖は、他者が想像する以上に致命的な精神的打撃であったと解釈するのが、最も合理的かつ事実に基づいた結論です。