宇多田ヒカルの母親・藤圭子の波乱万丈な生涯とは?受け継がれた歌声と絆の真相についての疑問解決ガイドをご紹介します。

1969年、シングル『新宿の女』でデビューするやいなや、日本中が彼女の歌声に平伏した。藤圭子。弱冠18歳の少女が歌うのは、大人の世界のドロドロとした情念や、救いのない孤独だった。彼女の歌は単なる「演歌」の枠に収まらず、社会の底辺で生きる人々の叫びを代弁する「怨歌(えんか)」と呼ばれた。

圧倒的な美貌と、それとは裏腹なドスの効いたハスキーボイス。そのギャップが、高度経済成長期の熱狂の影に隠れた人々の心を掴んで離さなかった。ファーストアルバムが20週連続でオリコン1位を獲得するという、前人未到の記録を打ち立てたのもこの時期だ。彼女はまさに、時代の寵児だった。