攻撃ヘリという前人未到のカテゴリーを切り拓いたのは、航空界の先駆者ラリー・ベルが創業した名門、ベル・テキストロン(旧ベル・エアクラフト)の飽くなき野心だった。1960年代初頭、ベトナム戦争の激化に伴い、兵員輸送ヘリUH-1イロコイは地上からの激しい対空砲火に晒されていた。護衛用の武装ヘリは重量過多で鈍重。現場が求めていたのは、圧倒的なスピードと機動力を誇り、敵の懐へ飛び込める専用の「空飛ぶ砲台」だった。
開発陣は社運を賭け、極秘プロジェクト「モデル209」を始動させる。機体幅わずか90センチメートル弱という異様なナローボディ。前面投影面積を極限まで削ぎ落とすことで被弾率を劇的に下げ、高速巡航を可能にする設計思想は、当時の航空宇宙・防衛産業に大きな衝撃を与えた。軍の制式採用が決まる前から自社資金でプロトタイプを組み上げるという大胆不敵な賭けが実を結び、1965年秋、伝説となる初代「ヒューイコブラ」が静かにロールアウトしたのである。