中川の政治生命を語る上で欠かせないのが、血判状をもって結成された過激な若手タカ派グループである。自民党内部で派閥政治が横行するなか、党内右派を結集して結成された青嵐会は、昭和の自由民主党において絶大な影響力を誇った。
独自の外交路線や過激な言動は、時の党執行部から警戒されながらも、国民的な人気を獲得していく。金権政治打破を掲げた彼らの活動は、旧態依然とした党内秩序に対する反逆そのものだった。権力の頂点を目指して突き進んだ中川一郎の野望は、まさに派閥抗争の渦中で磨かれ、そして追いつめられていったのだ。