大分県で生まれ育った中野太郎は、若くして関西へ拠点を移し、裏社会へと足を踏み入れました。その経歴を一気に押し上げたのは、妥協を一切許さない徹底した交戦主義です。四代目山口組時代の「山一抗争」、そして京都を舞台にした会津小鉄会系組織との激突など、数々の修羅場において常に最前線で指揮を執り、その冷徹なまでの武闘派姿勢から「狂犬」と恐れられました。
数ある武勇伝の中でも警察当局の記録に深く刻まれているのが、1996年7月に京都市八尾の理髪店で発生した襲撃事件です。理髪店で散髪中だった中野太郎に対し、会津小鉄会系組員が至近距離から銃撃を敢行。しかし、中野の専属ボディーガードが即座に抜銃して応戦し、ヒットマンを射殺して中野自身は無傷で生還しました。この「散髪屋襲撃事件」を機に、中野会の警戒網と防衛体制の異常なまでの強固さが全国に知れ渡ることとなりました。
五代目山口組・渡辺芳則組長からの絶大な信任を背景に、中野は組織の直参から最高幹部である中野会若頭補佐へと大抜擢されます。暴力団社会が経済ヤクザ全盛へとシフトする中にあって、中野会は圧倒的な軍事力を武器に勢力を急拡大させ、山口組内部でも誰も手出しができない特異な巨大勢力へと君臨していきました。