1945年8月17日、鈴木貫太郎内閣の総辞職を受けて誕生した東久邇宮内閣。その使命は極めて明白であり、かつ極度に危険なものだった。陸海軍の武装解除を無血で完了させ、進駐してくる占領軍を平穏に迎え入れること。もし陸軍の急進派がクーデターを起こせば、日本全土が内乱状態に陥る危険すらあった。
昭和天皇の叔父にあたる皇族が首相の座に就くこと自体、明治憲法下の政治的慣例から逸脱した緊急避難的措置だった。皇族の権威を用いなければ、荒れ狂う軍部の暴発を抑え込むことは不可能だったからだ。事実、陸軍大将であった稔彦王の起用は、軍の秩序ある武装解除を劇的に成功させた。しかし、それは同時に、占領統治という未知の荒波に皇室そのものを直接晒す危険な賭けでもあった。