なぜ今、人々は舗装もままならない山道を越えてまで、この秘境を目指すのか。その答えは、均一化された現代社会が削ぎ落としてしまった「原初的な畏怖の感覚」にある。「民俗学・寺社仏閣巡礼」をライフワークとする旅人たちにとって、高尾の山中に佇む木造社殿の彫刻や苔むした石段は、教科書では学べない生きた民俗誌そのものだ。
利便性や効率性が至上命題とされる日常から離れ、電波の届きにくい山林で神仏に手を合わせる行為。それは自己の内面を再確認し、自然の驚異と生命の恵みに感謝する精神的なリセットボタンの役割を果たしている。