では、そもそもこの物語は誰が、どのようにして生み出したのか。発端となったのは、昭和後期に活動した文筆家の芝三光である。芝は「江戸の商人階層に代々秘密裏に受け継がれてきた口伝」と主張し、自身の記憶に基づく独自の作法体系を提示した。文献が存在しない理由として、明治維新時の混乱で幕府側の商人たちが虐殺・弾圧され、記録が失われたという陰謀論めいた歴史観が語られた。
この物語を洗練させ、ビジネス界や一般社会へ普及させたのが越川禮子である。越川はNPO法人江戸しぐさを設立し、リーダーシップ論や社員研修、地域教育のツールとして巧みにパッケージ化した。「商人たちの知恵」という看板は、バブル崩壊後の混迷期において、企業倫理や人材育成の指針を求めていた経済界に驚くほど自然に受け入れられていった。